120年の産地で、梨と話し、梨に生かされて。 夏をいち早く届ける「伊万里梨」
JA伊万里 梨部会 部会長 丸尾正秋 [伊万里市大川町]
- INTRODUCTION
- かぶりついた瞬間、口いっぱいに果汁があふれ、シャリッとした歯ざわりが弾ける。西日本有数の梨の産地・伊万里市で、明治39年から約120年受け継がれてきたブランド「伊万里梨」。その産地を束ねるJA伊万里・梨部会の部会長を務めるのが、丸尾正秋さん、66歳です。20歳で就農して以来、およそ半世紀、梨ひと筋。「梨があったから、ここまで来られた」と穏やかに語る丸尾さんに、産地の歴史と、梨づくりへの思いを伺いました。
120年前、若者たちが植えた苗木
私の梨づくりは、20歳から始まりました。実業高校の林業科を卒業するとき、進路に迷っていたら、同級生が茨城県筑波の果樹の試験場へ研修に行くと聞きましてね。実家も梨を作っていましたから、「じゃあ俺も」と一緒に行ったんです。2年間の研修を終えて伊万里に戻り、そのまま家の梨園を継ぎました。以来、気づけば50年近くになります。
この大川町は、伊万里梨発祥の地です。明治39年、暮らしの苦しさから抜け出そうと、地区の若者たちが梨の苗木を持ち帰って植えたのが始まりと伝えられています。以来およそ120年。うちでは炭鉱に勤めていた父に代わって祖父母の代から梨を育て、私で4代目。いまは息子が5代目として、一緒に畑に立っています。
現在は約1ヘクタールの畑を、私と妻、息子の3人で管理し、受粉や袋かけの忙しい時期には、近所の方たちに手伝ってもらいます。品種は幸水(こうすい)が4割、あきづきと甘太(かんた)が6割ほど。以前は新高(にいたか)や豊水(ほうすい)も作っていましたが、日焼けや果肉の障害が出やすくなってきたので、思い切って切り替えました。7月初めのハウス幸水に始まり、10月の王秋(おうしゅう)まで、夏から秋まで栽培方法を工夫して、収穫が途切れないように計画して育てています。伊万里は梨のハウス栽培の面積が全国でも指折りで、どこよりも早く梨を届けられるのが強みです。「伊万里の梨が届くと、夏が来たと思う」。そう楽しみに待っていてくれる人がいることが、この産地の誇りです。
木と話せば、ちゃんと応えてくれる
梨づくりに、休みはありません。冬は剪定。実をならせる枝と翌年のための予備の枝をバランスよく交互に配置していきます。この枝の配置で一年が決まると言っていい、いちばん大事な仕事です。うちでは「低樹高ジョイント栽培」といって、低く仕立てた木の枝を隣の木につないでいく方法を取り入れています。剪定も収穫も早く済んで、管理がしやすい。梨の枝を水平に広げて育てるための棚の高さは、身長180センチを超える息子に合わせて、少し高めにしました。若い人が作業しやすい畑にしておくことも、次の代への準備だと思っています。
春は花に人の手で花粉をつけ、実がつけば摘果。1メートルにつき5個ほど、良い実だけを見極めて残します。夏の収穫期は朝6時から畑に出て、日中の暑い時間は休み、夕方また日が暮れるまで作業します。毎日見るのは、葉の色、枝の伸び、実の育ち。80日、90日と数えながら実の大きさを測り、「この時期にこれくらいなければ大玉にならない」という尺度と照らし合わせていきます。
相手は天気だけではありません。実の汁を吸うカメムシ、木に登って食べてしまうアライグマ、近くの山には猿の群れもいる。フェロモン剤や電気柵、ロケット花火まで使って畑を守ります。台風の前には棚を支柱で補強しますが、それでも自然が相手ですから、思い通りにいかないことの方が多いですね。
忘れられないのは、28歳のときです。血液の病気にかかって、7カ月入院しなければならなくなりました。ちょうどお盆の時期に外泊の許可をもらうと、家より先に梨畑に向かい、梨の木に手を当て、「がんばってくれ」と言いました。収穫時に手伝いに来てくれた姉が言うんです。「今年は大きい実がなっとるよ」と。あのときほど、梨に励まされたことはありません。
昔、ある先生に「梨と話をしなさい」と言われました。最初は意味が分かりませんでしたが、いまは分かる気がします。朝は「おはよう」、収穫のときは「ありがとう」。木は生き物です。人間の都合ばかり押し付けるのではなく、ちゃんと向き合って、やるべき管理をやってやれば、木はちゃんと応えてくれる。それが、48年やってきた私の実感です。
人を育てるのが、産地
現在、梨部会の生産者は121軒。産地全体で2,000トン、13億円の売り上げが今年の目標です。部会長として心に置いているのは、先輩たちから受け継いだ「人を育てるのが産地」という言葉です。叱るのではなく、褒めて、困っている人がいたら助ける。梨は工業製品ではなく、人が作るものです。生産者の心がバラバラでは、良いものはできないし、産地も続いていきません。
5年前には、静岡から40代の方が移住してきて、梨づくりを始めてくれました。近くの野菜農家の息子さんが「梨を作りたい」と研修を受けた例もあります。跡取りは、わが子でなくても構わない。第三者への継承でもいいから、先人が苦労して育ててきた優良な園地を残していきたい。それが、いまの私の一番の願いです。
うちの息子も、ハウス2棟の梨の木を切って、桃を植えました。梨の受粉に使う花粉は長く輸入に頼っていましたが、病気の影響で止まってしまった。その点、桃は受粉の手間がかからず、単価も高い。3年間は収穫ゼロでしたが、ようやく実がなり始めました。時代を見て、新しいことに挑戦する。それでいいと思っています。規格外の梨も、いまはお菓子やゼリーの材料に生まれ変わる時代です。昔は山に捨てるしかなかったことを思えば、ありがたいことですよ。
48年続けてこられた理由を聞かれたら、「梨があったから」と答えます。病気のときも、苦しいときも、梨に助けられてきました。気候変動で作りにくくなる品種もあれば、暑さに強い新しい品種も生まれてくる。課題が出ては解決して、また次の課題が来る。満足する年など、一度もありません。だから、やめられないのです。
直売所に立っていたら、遠方から来られたお客さんに「去年買ったら美味しかったから、また買いに来たよ」と言われたことがあります。あのひと言のために、一年間畑に立っているようなものです。伊万里梨は、食べる30分ほど前に冷やすのがおすすめ。冷やしすぎず、シャリッとした歯ざわりと、あふれる果汁を味わってください。そのひと玉に、伊万里の120年が詰まっています。
- JA伊万里 梨部会 部会長 丸尾正秋
- JA伊万里・梨部会 明治39年、大川町の若者たちが植えた苗木から始まった、西日本有数の梨産地・伊万里。「伊万里梨」はJA伊万里の登録商標で、現在121軒の生産者が幸水・豊水・あきづき・甘太・王秋などを7月から10月までリレー出荷する。梨のハウス栽培面積は全国屈指で、早出しの高品質な梨として市場の信頼も厚い。光センサーによる糖度選別など、安心・安全でおいしい梨づくりの体制を整えている。
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