kashimanishiki
鹿島錦
主な生産地:佐賀
伝統が織りなす華やかな彩り
鹿島錦は江戸時代末期、鹿島藩鍋島家第9代藩主の夫人、柏岡の方(篤子)が網代天井に着想を得て、これで日用品を作れないかと側近に相談したことが始まりです。そこで近習が研究の末に観世縒(かんぜよ)り(和紙を細かく切り磋り合わせたもの)で網代形を編み、印籠を作りました。それが鹿島錦の基となり、殿中で歴代の夫人によって工夫が加えられて伝承されてきました。
鹿島錦は元々、紙を裁って経(たて)糸にし、綿糸を緯(よこ)糸にして織っていました。その後、金銀の箔を貼ったり、漆を塗ったりした和紙を細かく切って経糸にし、絹糸を緯糸にして織るようになりました。
錦に文様を配するようになると、美術品としても発展しました。1968年に鹿島市では鹿島織の発展を願い、鍋島政子が名営会長となり、鹿島錦保存会が結成されました。後継者育成のために鹿島錦教室も開講し、鹿島錦の伝統を現代に受け継いでいます。
和装バッグ
和装小物
特徴
金銀の箔や漆を施した和紙と本絹糸を使用し、伝統の網代文様を中心に、市松、流水、菱、桝、亀甲、馬蹄、青海波、紗綾など、多種多様な文様をすべて手作業で織り上げます。反物から和装小物まで、その柔らかさを秘めた美しさは、日用品のみならず、美術品としても高い価値を持っています。
方眼紙で1マスごと色を塗りつぶして文様を作成
方眼紙を使い、緯糸を黒、経糸を白に1マスごとに塗りつぶしていき、文様を作成します。方眼紙を塗りつぶした図案見本を参考に、配色を検討します。金銀の箔を貼った経糸を必要な寸法に切り、それを織り台に貼り付けて、織機を準備します。
糸を通す道具に、緯糸を必要な分だけ巻き、織り出し(織り始め)と織り終わりに無地の平織りを織って経糸を定着させます。布を織り上げた後、必要な材料と織布を使って製品に仕上げます。