鍋島緞通
主な生産地:佐賀
350年の歴史を誇る優美な敷物
江戸時代初期、佐賀郡扇町の農家に生まれた古賀清右衛門が長崎で中国人から緞通の技術を教わり、「扇町毛氈(もうせん)」として織ったのが、日本最古の綿緞通と言われる鍋島緞通の発祥です。
扇町毛氈(もうせん)は精巧な作りで、画趣に富んでいたことから、佐賀藩3代目藩主鍋島綱茂が生産を奨励し御用品としました。当時、庶民への売買を禁じていましたが、明治時代以降はその禁が解かれ、最盛期には十数の織元が生まれるほど栄えました。
1910年には佐賀市赤松町に住む、吉島正敏が製造技術を受け継ぎ、今日の鍋島緞通の基礎を作りました。太平洋戦争中は技術を失わないよう、国から木綿糸の支給を受けて細々と機織りを継続しました。
一時は福岡県久留米市へ移転して、鍋島椴通の伝統を守り続け、2006年に佐賀市へ工房を移しました。
鍋島緞通は1畳サイズが基本の大きさとなっており、伝統的に桜や松の木製織機を使い、経(たて)糸と緯(よこ)糸ともに上質の木綿糸で一目一目を手で織り上げる工芸品です。伝統的な「蟹牡丹(かにぼたん) 」柄を守り、優雅な趣きを今も誇っています。
現在は佐買市内の3事業者が鍋島緞通を作っています。
特徴
織糸には上質な木綿を使用しています。絹や羊毛などと比べると肌触りが良く、高温多湿な日本に適した敷物です。大胆かつ華やかな文様も魅力で、インテリアのアクセントになります。
木綿の経(たて)糸と緯(よこ)糸、織込糸を用いて織り上げる
方眼紙に文様を描いて、図案を作成します。経(たて)糸と緯(よこ)糸、文様に合わせて染めた織込糸を、それぞれ規格の太さに撚(よ)り、製品の幅に見合った本数の経(たて)糸を繊機に張り、一面に張った経(たて)糸を棒で1本おきに拾って、緯(よこ)糸を通す部分を作ります。
経(たて)糸をつまみ上げ、染色した織込糸を絡ませて切ります。これがパイルとなり、一段ごとに織込糸を織り込み、締め金で緯(よこ)糸を叩き締めて、密度を均ーにします。この作業を繰り返して完成です。