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弓野人形

主な生産地:佐賀

素朴な土の温かみが愛らしい表情を生む

弓野人形は、博多人形師によって誕生しました。博多人形の完成された美に飽き足らない思いを抱いた人形師の原田亀次郎が、九州各地で修行した後、1882年に武雄市西川登町弓野地区で製作した土人形が始まりと言われています。
翌年、伊万里市の人々に節句人形として紹介し、好評を得たことが産業への足がかりとなりました。その後、時代の流れとともに、原田亀次郎は弓野人形の製法と意匠を改善し、原料の精選や職人の養成に努めました。
節句人形のほか、床の間に飾る土人形や鳩笛なども販売し、弓野人形の魅力を世に広めました。その後、佐質県内では、ひな祭りに多くの家庭が弓野人形を飾るという風習が定着していきました。最盛期の明治中期には、九州全域はもとより、京阪神から全国へと弓野人形は広まり、昭和初期には菓子メーカーの江崎グリコから依頼を受け、商品のおまけとして配布する人形を大量に生産したこともあります。
しかし、近年は家庭で節句人形を飾る習慣が少なくなり、また新しい玩具が次々と現れたことで弓野人形の需要は減少していきました。現在は西川登町にある数事業者がその技術を継承しています。

 

 

幸運を招くとされる縁起人形

 

招き猫をモチーフにした貯金箱

 

特徴

涎生当初は洗練された博多人形に近い作風を特徴としていましたが、次第に親しみのある素朴な人形へと変化しました。胡粉(こふん)を厚く塗ったぼってりとした形と、鮮やかな彩色が魅力です。デザインが多彩で、数百種類もの型が現存しています。

 

型で作った焼物を彩色して人形に仕上げる

粘土を用いてヘラで彫刻し、人形や面などの原型を作ります。次に石膏で原型を覆って型を製作します。土をこね、型に土を押し付けるようにして延ばし成形します。それぞれに型で成形した表面と裏而を合わせて立体にします。
乾燥させて、窯で素焼きします。焼き上げた後、胡粉(こふん)を厚く塗って全体を真っ白にし、水性または油性の絵具で、1つひとつ丁寧に彩色して人形を仕上げます。絵付けで人形の表梢が決まるため、最も神経を使う工程です。

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