SAGAPIN STORY

受け継がれるお茶の木。
次の世代へつなぐため。

三根緑茶園 [嬉野市]

INTRODUCTION
嬉野市でお茶の生産がはじまったのは、1440年ごろと伝わっています。嬉野にとって、お茶は文化、歴史を伝えるまちの誇りだと言います。この地でお茶農家の5代目として生産に勤しむ三根孝之さん。幼い頃よりお茶に触れ、就農すると産地を代表するお茶農家へと成長。そんな三根さんに、お茶づくりへのこだわりや情熱を伺いました。

約2%のお茶「蒸し製玉緑茶」

三根家がお茶づくりをはじめたのは、1898年のこと。遡れる情報だけを頼ると、私は5代目です。子どもの頃は、茶畑が遊び場でした。茶摘みの時期は、学校から帰ると製茶工場で宿題をして夕飯を食べて、そのまま工場で就寝。お茶の香りを楽しみながら、すやすやと眠った思い出があります。三根家はずっと昔から、家族で力を合わせてお茶づくりに精を出してきたんです。

高校を卒業してからは、静岡県の茶業研究所で2年間栽培技術を学びました。そこは私のようなお茶農家の子どもやお茶に関わる仕事に就く人が通います。栽培技術の習得だけでなく、多くの友人との出会いがありました。そこで築いた全国各地のお茶の情報網は、私のお茶栽培に欠かせない大切な教科書になっています。

嬉野でつくられるお茶のほとんどは「蒸し製玉緑茶」です。全国的に約2%のシェアというとても珍しいお茶。摘み取ったあと、最初の工程で「蒸して」つくることから蒸し製玉緑茶と呼ばれています。蒸し製玉緑茶は、うま味、甘み、そして渋味もしっかりと感じられるお茶です。そんなお茶づくりで三根家が一番追求したいのは、とにかくおいしいお茶をつくること。それが永く続けられる健全な経営につながると信じています。

お茶の木は、人間の足音が好き。

嬉野というお茶の産地は、静岡や鹿児島のように、広大な土地で大規模な栽培をする産地とは異なります。山間部で目の届く範囲で、ていねいにお茶づくりに励む産地です。嬉野の山間部は霧深く、昼夜の温度差があり、お茶の栽培に適しています。

私の農園は、嬉野市内の山間地域、数十ヶ所に点在しています。標高も100mから350mと様々。だから、茶畑の環境も全然違うんです。水はけが良かったり、悪かったり。気温も微妙に違うし、日当たりも違います。

大切なのは、茶の木、茶葉、土をよく見ること。毎日、茶畑に足を運び、しっかりと観察しています。 若い時に先輩農家から「お茶の木は、人間の足音が好き」って教えてもらったことがあるんです。愛情を注いだぶんだけ、お茶はおいしくなりますから、どうやら先輩の言葉は、本当だったようです。

そんな毎日の積み重ねが評価され、2023年に開催された「全国茶品評会」で最高賞の農林水産大臣賞を受賞することができました。実は、父も10年前に受賞していて、親子で日本一になることができたんです。三根家のお茶づくりが評価されてとても嬉しかったです。

茶の木の寿命は、30年とも50年とも言われています。父から受け継いだ茶の木もありますし、父もその父から受け継いでいます。受け継がれた技術と、茶の木をこれからも大切にしたいですね。永年作物だからこそ、手が抜けません。

今、お茶はチャンスの時代。

お茶の味には、栽培技術に加えて製茶の技術も重要です。三根家の特長は、「強く蒸す」こと。 他よりもやや長い時間蒸して、うま味を出します。蒸す時間や温度は、昼と夜でも変わりますし、外気温によっても変化します。繊細な技術で、茶葉の持つチカラを最大限に引き出してあげたいと思っています。

最近では、お茶の消費が減り、ピンチだと言う人たちがいます。しかし、私は逆にチャンスだと思っています。今の若い人たちは急須がない家で育ったから、急須や茶筒をかっこいい、おしゃれと思うようです。例えば、コーヒーを朝、豆から挽いて、ドリップして飲むように、お茶も好きなように淹れて味わうという風にこだわりのライフスタイルの一部に取り込んでもらえる可能性は十分にあると感じています。 温度や茶葉の量でも味わいは変わってきますからね。

今後は、産地を盛り上げる仕掛けや仕組みづくりをしていきたいです。若手茶農家の仲間と「グリーンレタープロジェクト」というお茶の消費拡大、嬉野のブランド力アップを目指す取組をスタートさせました。次の世代に、継承することも考えながら、みんなで団結して活動しています。

そんな取組の成功の鍵を握るのは、やっぱりお茶の「味」だと思います。だから、今日も明日も、私は茶畑に立っています。

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