SAGAPIN STORY

仲間たちとの絆と大地の恵みが、
玉ねぎをうまくする。

定松ファーム [杵島郡白石町]

INTRODUCTION
佐賀県白石町は、玉ねぎの名産地。有明海が形成する土壌で育つ玉ねぎは、みずみずしく、辛みが少なく甘いのが特長。新玉ねぎはスライスでそのまま、その他、天ぷらや炒め物などレシピも豊富。この場所で、玉ねぎ作りに励むのは定松右樹さん。産地の恵みを受けて育つ定松さんの玉ねぎは、この町を代表する逸品。畑を訪れると、仲間とともに玉ねぎ作りに精を出す姿がありました。

肥沃な大地に、愛情をたっぷり注いで。

私たち定松ファームは、佐賀県の白石町で、米、キャベツ、玉ねぎを作っています。特に、玉ねぎは白石町の名産なので、多くの人にそのこだわりを知ってもらいたいと思っています。この町では、昭和37年頃から玉ねぎの栽培がはじまり、40年代に一気に広まったと言われています。定松ファームでは、父親の代から玉ねぎの栽培が本格的にスタートしました。白石町は、有明海に面し、干拓地も多いので、土質は重粘土質。昔から、野菜がよく育つ土地と言われています。私たちが玉ねぎを作っている「廻里江(めぐりえ)干拓」も肥沃な土壌。地温が3度ほど高く、排水性に優れているのが特徴です。

今、私たちが育てている玉ねぎは、早生の品種、スーパーアップ、浜笑、貴錦、レクスター、ターザン等の全7品種。早いものは10月から植え付けがはじまります。植え付けてからは、病気にかからないように入念な観察が欠かせません。また、玉ねぎのうま味や甘みに必要なのは、排水と保水のバランスです。ここでも土の渇き具合をチェックする観察が重要。とにかく、植えてから収穫まで、毎日、生育状況や土の状態などを「よく見る」ことが大切。大きく、おいしく育つように、惜しみなく愛情を注いでいます。

「白石産」というブランドを背負って。

私は、白石町の農家の家に生まれました。県外の大学を卒業後、農業研修を1年間経験し、家業へ戻ったのは、23歳の頃。当時、父親が町の未来を想い、町議会議員になった頃でした。議員の仕事は忙しく、畑には、私と母親のふたりきり。だから、誰からも農業を教わっていない状態でのスタートでした。当然、うまくいきませんよね。収穫も少なく、畑や田んぼにはよく草が生えて・・・本当に困ってしまいました。当然、収益も上がらず、今、思い出してもゾッとします。

困り果てた私は、地元の農家の先輩に相談しました。先輩は、除草のこと、肥料のこと、農業への姿勢、すべてを包み隠さず私に教えてくれました。
ライバルになるかも知れない私に、です。それは、産地を盛り上げたかったからでしょう。戦うべき相手は、町内ではなく、他の産地だということに気付かされました。今なら私も、白石産の作物をブランドにすることの大切さがよくわかります。この町の恵みをいただき、産地のブランドを背負って作る玉ねぎ。手を抜くわけにいかないですよね。

毎年、年明けからはじまる収穫後には、地元を離れた友人たちに採れたての玉ねぎを送ることがあります。「懐かしい味がする」「やっぱり、地元の玉ねぎはおいしいね」などの声を聞くと、嬉しい気持ちと同時に、ホッとします。

経営が忙しくても、やっぱり現場主義。

それまで家族経営だった定松ファームも、私の代に変わってから、法人化しました。今(2023年12月現在)、7人体制で生産しています。以前は不透明だった生産に関する情報も可視化。社員みんなに5年日誌を付けてもらい、年間スケジュールを立てやすくしたり、前年や前々年との比較をしたり、と役立てています。また、「アグリノート」というアプリを導入。作業内容や気付きを入力し、それがすぐに全員に共有されます。前日にどんな作業をして、今日は何をすべきかが一目瞭然です。そうすることで、誰がやっても高いレベルで生産ができるようになりました。さらに、自動操縦のトラクターやドローンも導入し、しっかりと高品質のモノづくりができる体制を整えています。

また、生産した物の売り先を決める営業活動や業者さんとの打ち合わせなど、社長業は結構忙しいものです。しかし、あくまで私は現場主義。この目で見て、この手で触って、昨年よりも少しでも良い物を作ることが、私の役目だと感じています。これからも仲間たちとの絆とこの大地の恵みをいかして、上質な玉ねぎを作り続けたいと思っています。

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