SAGAPIN STORY

海から陸へ、親から子へ、
紡がれる海苔づくりの物語。

福松商店 [佐賀市川副町]

INTRODUCTION
海苔は、佐賀県を代表する県産品のひとつ。有明海の恵みを受けて育つその逸品は、色艶、口どけ、味わい、香り、県外からの評価も高く、高値で取引されるものもあります。そんな海苔の産地、佐賀市川副町で生まれ育った西村祐輔さんは、海苔の養殖、加工、販売を行う福松商店の3代目。現在、祐輔さんは弟とともに海に出て、海苔を育て、摘み、父と母が商品に仕上げています。今回は、海苔づくりへの想いと家族が紡ぐその物語を語ってもらいました。

3代にわたって受け継がれる海苔の養殖。

昭和30年代に、佐賀県川副町で海苔の養殖をはじめた私の祖父。当時は、牡蠣の養殖やエビや魚の漁をしていたそうですが、新しい挑戦として海苔の養殖をスタートさせたと聞いています。それを父が受け継ぎ、今、私が3代目を務めています。屋号は福松商店。「福松」はひいおじいちゃんの名前と聞いています。海苔の歴史は、私たち家族の歴史と言っても過言ではありません。

私は、22歳のときにこの世界に飛び込みました。幼い頃から何度か海に出ていましたが、仕事となると話は別。そんな私に、師匠である父は、言葉では何も教えてくれませんでした。昔ながらの「背中を見て覚えろ」というやつです。必死で見て覚えて、先輩たちに質問を繰り返して少しずつ覚えていきました。そうして、10年くらいが経とうとした頃、「自分が思い描いたような海苔ができた」と思えるようになり、一人前の海苔漁師の自覚が芽生えてきました。

今は、弟と一緒に海に出ています。真冬の収穫の時期には20時ごろに海へ。収穫を終え、深夜1時〜2時ごろに陸に帰り、父と母が待つ加工場に摘みたての海苔を運びます。私たち兄弟が摘んできた海苔を、親子で乾燥させ、成形して一枚一枚ていねいに商品にしていきます。養殖から、摘み取り、加工まで、すべて私たち家族の手で行っているんです。

太陽と海、ふたつの栄養をたっぷりと受けて。

有明海で行われる海苔の養殖は「支柱式」と呼ばれます。海に支柱を立てて、その支柱に海苔の種を付けた網を吊り下げます。最大で6mとも言われる世界有数の干満差がある有明海。干潮時には海面が大きく下がるので、網は吊るされた状態に。海苔は日光をよく浴び光合成し、ぐんぐん生育します。逆に満潮時には網が海水に浸かるので、海苔は海のミネラルなどの養分をしっかりと吸収し、味わいをつくり出すのです。

養殖の準備は、4月からはじまります。まずは、道具の準備から。船、綱、網、支柱など、道具は私たちの大切な相棒なので、念入りに。9月になると海に出て、支柱を立てます。支柱の長さは10mほど、数は約4500本。そして、10月下旬になり水温が下がる頃に海苔の種が付いた網を支柱に吊り下げます。養殖する場所は、抽選で決まるので、潮の流れが速いとか水深が深いとか、条件は運次第。どんな場所でもどんな条件でも高品質の海苔を育てられるか?そこが漁師の腕の見せどころです。種付けから1ヶ月、生育状況や環境を細かくチェックし、支柱や網の手入れをしながら収穫のときを迎えます。海苔が光合成する昼間に収穫すると細胞が弾けてしまい、海苔が曇るので、収穫は夜から深夜にかけて行います。極寒のなかでの作業ですが、収穫の喜びは格別。そうして年内に収穫した「一番摘み」と呼ばれる海苔は、特に口どけがよく、高い香りと深い味わいが特長です。漁期は3月まで。束の間のホッとひと息つける時がやってきます。

受けた恵みを絶やすことなく、食卓へ。

そんな私たちの仕事は、月の動きに左右されます。月の満ち欠けによって、満潮と干潮の時間が日々変化していくので、その日に何をするのか、どんなタイミングでどんな作業が必要なのかも変わります。太陽と月、そして海という人間がコントロールできない自然のなかで、たっぷりと恵みを受けながら、おいしい海苔をつくるために力を注いでいます。

私たちがつくる海苔は、1万枚に3枚とも言われる「佐賀海苔®有明海一番」にも何度も選出されています。また、ネット販売でもリピーターのお客さまが多く、時間と労力をかけてつくった海苔が多くの人の食卓を彩っていることが私たちの誇りです。

しかし、昨今、特に有明海の環境は大きく変わりました。生態系にも変化が見られ、採れなくなった生物もいると聞きます。私たちは、この誇りある仕事を長く続けたいと考えています。だから、環境保全や海の未来を考慮した漁の在り方など、私たちが考えなければならないときがきていると思います。これまでにたくさんの恵みをくれた自然に感謝しながら、これからも変わらずに高い品質の海苔をみなさんのもとへ届けていきたいと思っています。

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