- INTRODUCTION
- 佐賀県の特産品のひとつ、いちご。県内各地に産地が点在するなか、佐賀県のほぼ中央に位置し、有明海に面する白石町も産地のひとつ。そんな白石町で「いちご名人」と呼ばれる岸川勝さんが営む岸川農園は、これまでに多くの賞を受賞しています。その技術を継承するのが3代目の力也さん。観光農園をスタートさせるなど精力的に腕を磨く若い農家の挑戦に迫りました。
父の技術を継承するために農家の道へ。
佐賀県白石町のまちに広がる広大な白石平野。繰り返される干拓事業によって大きく広がってきました。土壌は粘土質で、れんこんやたまねぎ、米、麦の栽培が昔から盛んです。
そして、いちご。まちの特産品として県内外の人たちから愛されています。私はいちご農家「岸川農園」の3代目として生まれました。小さい頃は、いちごの箱詰めやパック詰めを手伝って、おこづかいを50円もらうとか、いちごは身近な存在でした。高校卒業後は、自分の力でどこまでやれるか試してみたい気持ちもあり、いちご農家とは違う道へ。しかし、祖父や父がつないできたいちご生産の技術を絶やすわけにはいかないと思い、20歳のときに家業を継ぐ決意をしました。45年以上前に、ゼロからいちごの生産をスタートさせた祖父、それを拡大し根付かせた父。その間、岸川農園は、JAの共進会で会長賞を10回以上受賞しています。現代表の父も農林水産大臣賞を受賞するなど、地元白石町では“いちご名人”とも呼ばれているんです。そんな祖父や父に教わりながら、いちごの生産者の道を歩みはじめました。
誰もが安心して食べられるいちごを。
私には、まだ幼い子どもがいます。いちごが好きで、よく食べてくれます。だから、減農薬・減化学肥料で、誰もが安心して食べることができるいちごづくりを心がけています。また、岸川農園は土づくりにもこだわっています。先代が昔から研究を重ね、試行錯誤を続けて「株冷」という花芽分化を促進させる育苗方法も他のいちご農家に先駆けていち早く導入しました。
さらに、最近ではITを使ってハウス内の環境を管理。いちごの順調な生育にとって最適な環境を維持します。先進技術の導入は、昔にくらべて日々の仕事を随分と楽にしてくれました。しかし、いちごが繊細な植物であることには変わりません。ですから、日々の観察と手入れが欠かせないのです。苗づくりからはじまり、定植してからは毎日の水やり。それから、伸びた蔓を切ったり、目を凝らさないと見えないほどの害虫を見付け排除したり、本当に目が離せません。
そうして実ったいちごは、早朝から収穫し、その日のうちに発送。容器もいちごが傷付かない特殊なものを使用。大事に育てたいちごが、おいしい状態でお手元に届くことを願っています。
若手いちご農家の挑戦は続く。
岸川農園がいちご狩りをスタートさせたのは、2022年のこと。「完熟したいちごをたくさんの人に食べて欲しい」という想いを実現させたくて挑戦をはじめました。6棟あるいちご狩りのハウスは私たち夫婦が中心となって生産、管理しています。食べられる品種は、全部で9品種。これだけの品種を育てられるのも、やはり父から受け継いだ技術力があるからだと感謝しています。いちご狩りは、その場で、食べた人たちの表情やリアクションが直接見れるので、いちごの生産にも一層力が入ります。
出荷用のハウスは、父がメインで生産、管理しています。 出荷は佐賀県が全国に誇る「さがほのか」と白くてかわいい「淡雪」の2品種です。全国各地から岸川農園の味を求めて、注文が届きます。
私自身、いちご農家になってから6年。技術はまだまだ未熟ですが、気持ちは負けていないつもりです。一番近くに父のような名人がいる環境は、本当にありがたいですね。これからも父の背中を追いかけながら、いつか追いつけるように生産技術の向上に努めたいと思っています。
- 岸川農園
- いちご農家3代目として生まれる。高校卒業後、電気関係の仕事に就くも、20歳のときに家業を継ぐことを決意。以来、祖父と父親にいちごづくりのノウハウを学ぶ。2022年には、いちごの魅力をもっと伝えようと観光農園をスタート。妻と二人三脚で、訪れる人、食べる人を楽しませるいちごづくりに力を注ぐ。進化を続ける期待の若手農家。
イチゴの
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